先日のハリー王子とメーガン妃のロイヤルウエディングで、熱く熱く神父さんが語っていたことを、友人が翻訳してくれましたので、シェアさせていただきます☆彡.。
⬇︎以下がマイケル・カリー米国聖公会総裁主教からヘンリー王子とメーガン妃にお伝えしたお言葉です。
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愛し、自由にし、生命を与える神 ー 父と子と聖霊の御名によって。アーメン。
ソロモンの歌 ー 雅歌より
わたしを刻みつけてください
あなたの心に、印章として
あなたの腕に、印章として。
愛は死のように強く
熱情は陰府のように酷い。
火花を散らして燃える炎。
大水も愛を消すことはできない。
洪水もそれを押し流すことはできない。
今は亡きマーティン・ルーサー・キング博士がある時こう言いました。
愛の力を理解する必要がある ー 愛のあがなう力を。それが出来たならば、この古い世界を新しい世界にできるだろう。愛のみが唯一の道であるから。
愛には力がある。愛を甘く見ないように。愛を感傷的に考えないように。愛には力、力がある。もし私を信用しないのであれば、恋した時のことを思い返して下さい。世界は貴方と貴方の愛する人を中心に周っているように感じられたでしょう。愛には力、力がある。
それは恋愛的な形だけでなく、あらゆる愛の形です。特定の感覚があります ー 貴方が愛されていて、貴方もそれを分かっている時 ー 誰かが貴方を大事に思っていて、貴方もそれを分かっている時 ー 貴方が誰かを愛し、それを示す時 ー 正しく感じる。何か正しいという感覚がある。
そしてそれには理由があり、その理由は源に関連しています。私達は愛の力によって造られました。私達の人生は、その愛の内に生きるべきであった ー 愛の内に生きるべきなのです。だから私達はここにいるのです。
根源的に、愛の源とは神自身です。私達の命全ての源。ある中世の詩にこうあります。「真の愛があるところ、そこには神がおられる。」
新約聖書にはこう書かれています。
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出でるもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。」なぜか?「神は愛だからです。」
愛には力がある。
愛には、他のどんなものでも癒し助けることが出来ない時も、癒し、助ける力がある。
愛には、他のどんなものでも持ち上げ自由にすることが出来ない時も、持ち上げ、自由にする力がある。
愛には、私達に生き方を示す力がある。
「わたしを刻みつけてください
あなたの心に、印章として
あなたの腕に、印章として
愛は死のように強いからです」
しかし愛は、若いカップルに関する事だけではありません。今、愛の力は、私達がここに集っていることによっても示されています。2人の若者が恋をし(愛し合い)、私達は集った。しかし若いカップルについて喜ぶだけではないのです。
それ以上のことなのです。ナザレのイエスは、ある時、モーゼの教えのエッセンスを要約してほしいと弁護士に頼まれました。彼はヘブライ語聖書(旧約聖書)の申命記とレビ記に立ち戻り、こう言いました。貴方の主である神を心いっぱい、魂いっぱい、ハートいっぱい、マインドいっぱい、力いっぱい愛しなさい。
これが第一であり、最も重要な掟です。第二の掟も似ています。隣人を自分のように愛しなさい。
そしてマタイのバージョンでは、彼はこう付け足します。
神を愛し、隣人を愛し、というこの二つに、全てをかけよ ー 全ての法、全ての予言、モーゼが書かれた全て、聖書にある全て、神が世界に伝えようとしている全てをかけよ、神を愛し、隣人を愛し、そして、自分自身を愛しなさい。
ある人は、イエスは人類歴史上、最も革命的な活動を始めた、と言いました。世界に対する神の無条件の愛に基づいた活動。そしてその愛を生きる、ということを人々に信任した活動。そうすることで、彼らの人生を変えるだけでなく、世界の命そのものを変える故に。
これは力、本物の力についてお話をしています。世界を変える力。もし私を信じないのであれば、戦前のアメリカ合衆国の南方に、愛のダイナミックな力、そして愛が持つ変換力について説いた奴隷達がいました。彼らは、こう説明しました。監禁の最中にいても歌われた霊歌、それは「ギレアドに乳香あり」です。癒しの乳香 ー それは物事を正せる物。
ギレアドには、傷ついたものを完全にする乳香がある。罪深い魂を癒す乳香があります。それは霊歌の一節で、実際に説明されています。ペテロのように説き、パウロのように祈れなければ、イエスの愛を説き、彼が私達を救うために亡くなったことを伝えよ。それこそがギレアドの乳香。この愛の道は、人生の道。彼らは理解したのです、彼が私達を救うために亡くなったと。彼は何か得るものがあったから亡くなったのではありません。亡くなったことで、イエスは修士号など得ていません。何も得るものはなかったのです。彼は命を差し出し、他者のために命を犠牲にした、他の者のために、世界の幸福のために。私達のために。私達にとって、それが愛です。
愛は利己的でなく、自己中心的でもない。愛は犠牲的でもあり得ます。そしてそれを通し、贖いを可能にする。そのような利他的、犠牲的、贖罪的な愛の道は人生・命を変えます。そして世界をも変えることができます。もし私を信じないのであれば、立ち止まり考えて下さい。想像して下さい。
考えて、想像してみて ー 愛が道である世界を。
想像して下さい ー 愛が道である、家や、家族。
想像して下さい ー 愛が道である、近所や、コミュニティ。
想像して下さい ー 愛が道である政府や、国家。
想像して下さい ー 愛が道であるビジネスや、商業を。
想像して下さい ー この疲れた世界の道が、愛であったら ー 利他的で、犠牲的で、贖罪的である愛が道だったら。
愛が道であれば、この世でお腹を空かせながら眠りにつく子供はいなくなるでしょう。
愛が道であれば ー 正義は力強い流れで進み、正義感は流れが止まることのない川のようでしょう。
愛が道であれば ー 貧困は歴史上のものとなるでしょう。
愛が道であれば ー 地球は神聖な場所、安らぎの場所のなるでしょう。
愛が道であれば ー 我々は剣や盾を川辺に置き、戦争を学ぶことは無くなるでしょう。
愛が道であれば ー 神の全ての子供達のため、十分な良い空間、十分な良い空間があるでしょう。
なぜかと言うと、愛が道であるとき、私達は実際にお互いを、お互いが実際に家族であるように接するからです。
愛が道であるとき、我々皆の源は神だと分かっている ー 我々は神の子供、兄弟姉妹であると分かっている。
私の兄弟姉妹よ ー これこそ新しい天国、新しい地球、新しい世界、新しい人類の家族です。そして言わせて下さい。ソロモンが旧約聖書で言っていた通りです ー それこそ炎だ。
ピエール・テイヤード・ド・シャルダンのお話をして、お座りいただきましょう。結婚する必要がありますからね。
フランス人イエスズ会修道士のピエール・テイヤード・ド・シャルダンは、20世紀の偉大なマインド、偉大なスピリットでした。イエスズ会の修道士であり、ローマ・カトリック教会の司祭、科学者、学者、神秘主義者であった。彼の書物の一部は、神学の経歴からはもちろん、科学的な経歴からも書かれていた。書物の中には、他者も言ったように、炎の発見・発明・動力化は人類歴史上でも重要な科学的そして技術的な発見であったと書かれている。人類の文明は、炎によって大いに可能になった。炎によって、食べ物を調理することや、衛生的な食事が可能となり、その時代において病気の伝染を減少した。炎によって、暖かい環境を作ることが可能となり、人類が世界中に移住することを可能にした ー そう、寒い地域にさえも。炎によって可能になったのです。炎なくしては青銅器時代も、鉄器時代も、産業革命も可能ではなかった。科学と技術の進化の大部分は、人類に役立つように炎を使うという、人類の能力と容量にかかっています。
今日車で来た方はいますか?自動車で来た方は?もしそうでしたら頷いて下さい、きっと数人はいらっしゃると思います、馬車でいらした方もいますよね。でも自動車で来た方々 ー 炎を管理してこそ、それが可能となったのです。聖書に書かれています ー そして私はそれを信じています ー イエスは水の上を歩かれたと。ですが私は大西洋を歩いて渡って来た訳ではありません。飛行機内の、管理された炎によって、来れました。炎によってこそ、テキストメッセージやツイート、メール、インスタグラム、Facebook、そして私達が社交的に社会不適応であることが可能となっているのです。これら全てが炎によって可能となり、ド・シャルダンは炎が人類歴史上においても重要な発見だと言っています。そして彼はこうも言っています。人類がもし再度、炎のエネルギーを動力化・管理することができれば ー もし人類が愛のエネルギーを捕えることができたら ー 歴史上で二度目に、炎が発見されるだろう。
キング牧師は正しかった。私達は愛を発見する必要がある。愛のあがなう力。それを成し得たら、この古い世界は、新しい世界となるでしょう。私の兄弟、姉妹、神の愛があらんことを。神の恵みがあらんことを。そして神が我らをその全能の愛の御手で抱いて下さいますように。
翻訳 by Erika
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